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いい下宿生活だった

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うれしいことや心配事があるとなかなか寝られないものである。大脳が興奮してなかなか寝ないのです。そんな時は祈るのです。早く寝させてください。明日は早く起きないといけないのですとか、明日は大事な仕事があるのですあ、寝不足では困るのですとか言って大脳に言い聞かせるのです。

ときとして、夢を見てその夢の中で色々考えたり思案していて目が覚めたけれども、夢に見たことをさらにあれこれ考えていて寝つかれないので、少しは寝たので明日の仕事にさしつかえないか、と算段して起きることもある。今日はそうだ。朝3時におきることになってしまった。

夢の中から思い悩んでいることは、実は学生時代の下宿の事なのだ。下宿人は何人だったのか?10人だったと思う。部屋は10部屋あったはずだ。部屋の配置はだいたい覚えているが、どうも名前が思いだせない。1階は6部屋、2階は4部屋だった。しかし、私を含めて9人だ。あと一人が思いだせない。広めの畳3畳の部屋が9部屋と4畳半の部屋が1部屋があったはずだ。1畳が1000円という計算だったと思う。2階にある4畳半の部屋は一番古参の先輩が入ることになっていた。朝と夕ご飯付きの下宿は、老夫婦も一緒に住んでいた。私たちは「おじいちゃん、おばあちゃん」と呼んでいた。毎年12月、夕食が終わって、4畳半の部屋で忘年会が開かれた。おばあちゃんが忘年会のおつまみを作ってくれ、おじいちゃんがお酒を差し入れてくれ、忘年会に加わって歌を歌いあった。お酒をかんしてくれるのはおばあちゃんだった。

家族的な、いい下宿だったので、みんな卒業するまででていくことはなかった。私は1年生の10月ごろその下宿へ引っ越すことができた。私はその下宿に修士課程の終わりまで、ほぼ6年いた。古参だから私は2階の4畳半の部屋に移り住んでいた。下級生が私の部屋で修士の学位を得た祝いをしてくれた。いい下宿生活だった。

ある時、おじいちゃんの部屋に呼ばれた事がある。何事なのかと言ってみるとそこに下宿に入りたいという下級生がいる。色々話をしてその学生が帰ったあと、おじいちゃんが、「○○さん(私のこと)、どう、あの子、(この下宿に)入れてもいいと思う」と聞くのだ。家族的なこの下宿にはいってもらって下宿の雰囲気になれるだろうか、うまくやって行けるだろうか、聞いているのでした。そういえば私が下宿に入りたいとやってきた時もおじいちゃんとおばあちゃんと4年生の先輩がいたことを思い起こした。それで私は面接を受けていたのだということが分かったのだ。

お孫さんが、私たちの学校の中学部に通っているので、私たちの大学のファンだった。それで、親元から離れて生活する私たち学生を、親代わりのように思ってくれていた。私たちも「おじいちゃん、おばあちゃん」と慕っていた。相談事もした。

1階には手回し絞り機のついた洗濯機があった。1回使用するたびに10円をいれた。そんなことを思い出しながらもなお残り一人の下宿仲間の名前が顔と名前が思い出せない。それが、3時に起きざるを得なかった理由なのだ。

些細なことを思い起こしている。いい学生時代だった。いい下宿生活だった。おじいちゃん、おばあちゃん、ありがとう。

それでは皆様ごきげんようさようなら。

by Jedinagare | 2014-02-16 05:41 | 人生の羅針盤  

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